プロフィール
大阪府池田市に生まれる。
池田市立呉服小学校では吹奏楽クラブに所属。クラリネット。今では考えられないのですが、小学校のクラブ活動としては厳しかったです。平日は水曜日以外放課後練習。(土曜日もあり)アマチュアトップコンサートや2000人の吹奏楽、コンクールなど盛りだくさん。でも、人生の中で最も楽しかった期間だと思います。毎日がパラダイス。小学5年生の時に当時の新任の先生が音楽の授業で「交響組曲宇宙戦艦ヤマト」を聴かせた。(当時は音楽の授業だけは音楽専門の先生がいたのですが、この担任の先生は独自で音楽の授業をしようと試みていました。すごい事です)これが相当な衝撃で、後に音楽の道にすすむターニングポイントとなった。(ちなみに余談ですが、このアルバムの作曲家の宮川泰先生のご子息である宮川彬良先生も後にこの交響組曲宇宙戦艦ヤマトを聴いて衝撃を受けたと語られています。)
池田市立北豊島中学校では器械体操部に所属するも、2年生の初頭に鉄棒から落ちて複雑骨折で入院。同時期に今まで存在しなかった吹奏楽部が創部される事になり、初代部長となる。アルトサックス担当。その後中学3年生時の文化祭向けに当時のTV番組「影の軍団Ⅱのテーマ」を耳コピして吹奏楽用にスコアを書く。これがとても大変でした。TVからの音なので耳コピも大変でしたが、移調楽器の攻略が難解。加えてオリジナルには存在しない楽器の分も無理やりパート譜を書くため独自のアレンジも必要。難解でした。
全て独学だったのですが、きっかけは同級生のお兄さんが大学生でバンドをしており、そのコンサートを聴きに行った際カシオペアのコピーバンドをしていました。これがまた凄い演奏でかなりの衝撃を受けました。自分もやってみたいと思いお兄さんに「楽譜をください!」と言ったところ、「はい。どうぞ。」と渡されたのがいわゆる「メロ譜」(メロディーとコードだけが記された楽譜)で、「コードとは何ぞや?」というところから始める事となった。
すぐにやってみたいのでその日のうちに母親に頼んで「ピアノコード集」を楽器屋に買いに走った。数百にも及ぶコード。これ全部覚えるのか・・・と思ったのだが、コードには法則がある事に気付く。そしてこれも全て独学でマスター。若いって凄いね(笑)これが中学2年生の時。これを習得していたので3年生の時にスコアを書く事が出来ました。でも中3で吹奏楽のアレンジは今思うとかなり無謀でしたね。今ならやり直したいもの。
大阪府立刀根山高校ではバンド活動に没頭。フュージョンにハマり、カシオペアやT-SQUAREのコピーバンドをする。
大学は大阪芸術大学音楽学科音楽工学コース(現在はもうありません)に進み、DTMにハマる。アルバイトは音響関係のアルバイト。この経験が後々仕事に活かされる事となる。
バブル絶頂期に就職活動をしたにもかかわらず、9社受けて1社のみ合格。職種はゲームサウンドクリエイター。狭き門であった。仕事はファミコン、スーパーファミコン、メガドライブ、プレイステーションと当時の家庭用ゲーム機はほとんど開発。製品も結構出しました。
転職。同業他社ですが。
2001年結婚。2010年に娘が生まれる。
ゲーム業界には20年在籍しました。現在は大手スーパーで家電担当をしながら、自宅では古物商を営んでおります。(古物商許可証取得)
現在、妻と娘の3人暮らし。